
武寧王(ぶねいおう)は百済(くだら)の第25代の王でした。西暦500年ころ、朝鮮半島の三国時代のころ百済は倭と関係が深く、日本(倭国)からも百済のために応戦に(第1軍と第2軍を合わせて3万2千人)出向いていました。百済観音というように百済から伝来したものが日本にあります。百済は中国の唐や高句麗、新羅との力関係から日本に協力を求め、そのことからの多くの人や文化を伝えたとあります。
※「倭(わ)」とは、中華思想を持つ中国皇帝が「おちびちゃん」という日本を蔑む意味をもって使った字と考えられるものだということを覚えておきたい。
画像は「武寧王の冠飾」といいますから武寧王の冠の飾りだったのでしょうか。資料の写真としては飾りの部分のみです。下の方に穴が2カ所ありますから、きっと穴で冠の本体に止めたのでしょう。金沢市玉川図書館から借りてきた本の写真から起こしてみました。インターネット上にも結構画像は載っています。

出典/「百済の考古学」(大川 清 編)昭和47年発行 雄山閣出版
ここからは、「武寧王の冠飾」の画像を元にアレンジした画像です。






