これまで、言われてきたこれはおかしい、良くないとか、もっとこうしてというものを含め、多分こんなことを思っているのではないだろうかということや純粋に要望もまとめて書いてみよう。(順不動)
・高くて手が届かない。(額付き価格帯しか用意していなかった時に)
・どの絵なのか品番があるといい。同じ名で何種類かある絵がある。
・1点ものでないから価値が薄いのでは?
・他人の素材を使うなどものまねはダメ、完全オリジナルに進んでね。
・コースターになんて絵を貼付けないで。
・新作をもっと。
・作ってある絵を全部サイトに載せてよ。
・お申し込みフォームが簡素すぎでないのか。
・あの天使の絵、もっと中性的がいいのに。
・送料が不明確じゃないかな。
・リアルなお店がないの?
・もっと大きな絵が見たい。
・私の住んでる近くで展覧会があったら教えて。
・額縁は自分で選びたい。
・絵は実際に見てみたい。
・絵だけでなくてもっとやりたいことやってね。
クレームは聴くのは嫌な物だ。特に感情に入るとよけい重くなったりする。だけれど、クレームというきっかけがあるから良くなろうとする。
なかなかクレームは言ってくれる人も少ないこともあり貴重な意見なのだ。
さて、
絵を売るというのは、単純に絵を描くことと売るということの2つのこと。絵を描くということだけをやっていれば、売ることは当然考えなくても良い。売ることが主軸になってくると絵描きとしてはちょっと違うのではと思うことも。しかし、売れないと絵を描く道具も手に入らなくなる。
新しいPC、それも高性能のマシンでメモリをフルフルに積んでおもいっきり最速でイメージのおもむくまま絵を描けたらどんなに素晴らしいか、タブレットもいいやつを使えばなめらかな線が描ける。ソフトもしかりバージョンの最先端を行く。モニターも大きくしてソフトのメニューは別画面で。回線も光がいいし、保存も何テラでもあるとベスト。
と思うと、高く売って、沢山儲けて資金をつくり投資して行くというのはアリである。絵を売ることが絵を描き続けるための方法でもある。
しかし、別にお金を得るのは絵に限ったことではなく、他の稼ぎでもよい。もっと効率的な方法があるのではないか。まったく別のことをしてお金を得るのもひとつ。またパトロン的なバックアップや協力を得るのも一つ。ただ、全く別のことにハマリすぎて絵を描くことを忘れてしまっては人生という短い時間制限の中では、後戻りができなくなる。ゲーテ曰く「芸術家よ君は限りない時を貫いて生きる、不死を楽しむがよい」とあるが、果たしてアセンションをふくめ魂はいまの絵を描くということを覚えていればいいが、もし忘れてしまうなら、いまという人生中にやらないと。またパトロン的な人や協力する人がいるとしてもその人の好みが入る様ではとてもややこしいことになってします。その人は完全にお金や状況を提供だけしてあとは自由に絵を描きなよといってすむような感じだろうか。なにがしかのお返しをしたくなるのではないか。お返しを要求するのではないか。冠的なスポンサーとしてお金を補助してもらってもなにかしっくり来ないという気持ちがあるだろう。でも時間をずーとのばしてみればそんなことはどちらでもよく、結果として何かできてアートできたことがいいのでは・・・・・
絵を描く。絵を売る。
アートをすることとアートを売ること。
絵を売るためにあれやこれやと考えて実行する。
結果として売れて、嬉しい。
本当に嬉しい。
絵を売るためのあれこれは、絵を描くこととは関係ないように思う内容もある。値段を決めるというのは微妙な差異を察知して2,500円なのか3,000円なのかそれとも3,500円なのかその間の値段なのかなど、絵を描くのにそれほど関係のないことを考えることともいえる。
明日、イベントがあってそのために絵を用意する。絵をプリントしたりこれまでのを用意してキレイにそろえたり、それも楽しい作業といえるのだが、絵の値段をどうしようというときに思考や行動がとまるような感じを経験した。明日は商売なのかアートなのかと。
全てが創造といえるなら、アートだけが創造的なことではなく、商売もすばらしく創造的になれるはず。ならば、料金を決めることにも深く創造の泉が関与しているはずなのだ。職人はお金の計算が苦手なんだよなーという既成概念があり、それを鵜呑みにするような洗脳的な状況にあるアーティストや作家は、逆にたくましく稼いでアートをするのもいいもんだというよう自己洗脳できるといい。
繊細な感覚を研ぎすまして極めていきたいとか思うなら、お金の面でもその繊細さがあっていいのかもしれない。バナナの叩き売りのようなざっくりまとめて、はい!というノリも面白いのだが。
感動の度合いが測れるモニターがあって、その度合いで料金がその場できまるという感動価格があるといいかもしれない。だから同じ品、絵であっても同じ人が時と場合で感動の度合いが違ってくるから料金も変わるというのは、とってもライブで面白い。じゃ無感動のポーカーフェイスで行こうとしてもそれはそれ。忍者の様にうまく感情をコントロールできるなら、あっぱれということ。そんな姑息な技など軽く凌駕する程の感動する作品を見せつけて感動の針を振り切ってみるのも面白いだろう。
センスというのがあって、絵を描くとセンスがでる。デザインをするとセンスがでる。だから絵を売ると売り方にセンスがでる。きっとそうだろう。
ラベル:クレーム