縄文が過ぎ,弥生のころにできたらしい。古墳の数としては60以上もある。能美市は日本の中でも古墳の多い土地だ。なぜ国府台に行ったかといえば、県道22号線(加賀産業道路)を加賀方面から金沢方面に走っているとき、高台にある家々が見え、あの高台の上からの景色はきっといいのだろうなと想っていたから。
国府台の高台からの眺め。
グーグルマップ/河田山古墳群
河田山古墳公園案内図
河田山古墳群は、古墳時代の前期(4世紀)から終末期(7世紀)にかけて築造された古墳群です。梯川(かけはしがわ)流域の平野をのぞむ6つの尾根上に、前期から中期を中心とした古墳が数多くつくられていました。弥生時代以来、梯川右岸から鍋谷川周辺の平野部で稲作を営み、成長してきた集落首長たちの墓域と考えられています。
国府台の造成に伴う調査で発見された古墳は、前方後円墳2基、前方後方墳2基、方墳35基、円墳21基、不明2基の形62基におよびます。そのうち、9基の古墳が、団地造成計画の変更などにより、現状のまま保存されました。
この古墳公園には、河田山古墳群のなかでも最初に造られたグループに属する河田山1号墳と、終末期に属する切遺志積穴式石室をもつ9号墳と12号墳が保存されています。12号墳は工事範囲にふくまれてたものですが、その先室が全国的にも貴重な発見であったことから、公園内に移設して、見学できるように墳丘を復元整備しました。
河田山古墳群資料館には、古墳群の発掘調査で出土した多数の副葬品とともに、12号墳とは別の尾根で発見されたもう一つの切石積横穴式石室が移築展示されています。
こんもりとした小さな山に見える河田山古墳。
展望台があった。
河田山12号墳
この古墳は、丘陵南側斜面に造られた一辺15mの方墳で、墳丘後側にコの字状に周溝をめぐらし、前面は墳丘を囲むように石垣状の外護列石が設けられている。
羨道をとおり、横穴状に設けられた羨門をくぐると小さな前室があり、この前室と玄門を隔てた奥が、遺骸を埋葬した玄室とよばれる部屋である。大きさは、奥行が5m、幅2.25mもある。
この古墳のように横穴式の入口をもち、凝灰岩の切り石を使用して造られた埋葬施設を凝灰岩製切石積横穴式石室とよんで、他の古墳の埋葬施設と区別している。
埋葬施設の構造や出土遺物などの特徴から、7世紀中ごろ(西暦650年頃)に造営された古墳と考えられている。
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