2014年09月24日

永遠の友達へ

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永遠の友達へ

美しき今日を生きましょう。

新しい人生をもう一度与えてくださった神に感謝します。

ハートとソウルが瑞々しさを取り戻せました。

太陽が昼と夜の交互の繰り返しをもたらすように、

細胞は死んでも、また新しい細胞に生まれ変わる。

生は死を免れることはできない。

しかし、死はすべての終わりではなく、

新しい生の準備のプロセスに入る事です。

そして、死という節目があるからこそ生の輝きも増す。

暗闇(死)の夜空に美しい花火が輝くように。

生の長い短いは関係ない。

生死は苦しみではない。

お釈迦様はその苦から解脱する智慧を説いた。

それは、執着を捨てること。

あるがままを受け入れること。

過去への悔恨と未来への不安を手放し、

今ここを生きること。

死を恐れるなかれ。



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上記の詩は、facebook能村聡さんの記事から抜粋しました。






神とは特定の宗教に関する物ではなく、宇宙の偉大な見えざる大いなる意志・意識・力、サムシンググレート、根本お創造神などのことです。






posted by ライトーダ at 06:32| 石川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

まっでスッゲェ楽んなる方法知りたいけ!

「超スゲェ楽になれる方法知りたいか!」から始まる、超訳した般若心経がネットに載っています。それを金沢弁に変換して覚えようとしています。単なる遊びですが、小さいころから身に付いていて今でも使っている方言の金沢弁にすることで、標準語の少し他人行儀な空々しさから、気持ちのこもった発音ができます。方言は他県の方にはあまりピンと来るものではありませんが、金沢近辺の方にはしっくり聞こえ、また笑えるものですね。

「超スゲェ楽になれる方法知りたいか!」は金沢弁で「まっでスッゲェ楽んなる方法知りたいけ!」とも言えます。金沢弁に置き換えるのにもいろいろあるのですが、「超」をあえて「まっで」にしてみました。「まっで」は「まんで」とも言いますが、「チョー」みたいに頭に付けると調子のいい感じの言い回しのひとつです。

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今、マイブームの暗唱。いろんな言葉を暗記しだして頭の活性化にもなるようです。物覚えが悪くなるのを防ぐ効果もあるみたいですね。空き時間を潰さずに有効活用にもなります。

長い文章を覚える方法も試行錯誤の中から自分なりにつかんでいけるようです。最初は頭の短い文節を繰り返し唱えて覚えます。続けて次の区切りのいいところまでを覚えて、頭からつなげてどんどん増やしていきます。何度も繰り返せば覚えられますが、しばらく時間を置くと忘れています。気がついた時にまた唱えます。声に出したり出さなかったり、どちらも行います。当面、毎日続けないと忘れます。2日も間があくと忘れてます。

文のひとかたまり毎に覚えて、なんとか全体を覚えられたとしても、スムーズに繋がらない場合もあります。これは完全に覚えていないということで、頭からすらすらと全部止まらずに言えるようになると一応覚えたといえます。更にスピードを上げて一気に読み上げるようにします。

この超訳般若心経は語り口調なので面白いです。語り口調なので、さまざまなイントネーションを付けて遊ぶことができます。気持ち、感情の入れ具合を変えて言うことができて、自分が役者にでもなったような気分も楽しめます。

超訳ではない普通の般若心経を、相当早口にして一呼吸で言い切ることもやってみました。目一杯息を吸い込み水の中に潜るときのように,息を少しずつ小出しに出して行くようにして唱えるとなんとか一呼吸で言えます。


このように暗唱はいろいろと愉しむことができますので興味ある方はどうぞ遊んでみてください。同じ暗唱するなら、やっぱり自分の一番覚えたい言葉ですよね。






「金沢弁アレンジ-超訳般若心経」

まっでスッゲェ楽になれる方法知りたいけ!
誰でもぉ幸せに生きる方法のヒントや。
もっと力抜いて、楽んなるげんぞ。
苦しみも辛さもぉ全部いいかげーんな幻やって
安心しまっし。

この世は空しいもんやて。
痛さも悲しみも最初っから空っぽなんやわ。
この世は変わってくもんや
苦を楽に変えることやってできれんて。
汚れることもあっしぃ、背負い込むことやってあるわいね。
ほやしぃ、抱え込んだもんを捨てちまうことやって出来るはずねんて。

この世がどんだけいいかげんか分かったけ。
苦しみとか病とかそんなもんに拘るまいって。
目に見えるとるもんに拘んなって。
聴こえるものにしがみつくなって。
味や香りなんかひっとそれぞれやがいや。
な〜んもアテにならんぞいや。
揺らいどる心に拘っとったらダメやって。
それを「無」っていうがや。
生きとりゃ、いろいろあるわいね。
辛いもん見んとこーとするんも難しいって。
ほやけど、そんなもんそこに置いとけいや。

先のことは誰にも見えんて。
無理こいて照らそーとしんでもいいがや。
見えんことを愉しみゃいいやろいね。
ほれが生きとる実感ってやつやぞいね。
正しく生きるんは確かに難しいかもしれんって
やけど、明るく生きるんは誰んでもできるがや。

菩薩として生きるコツがあるげん。
苦しんで生きる必要なんかねーげん。
愉しんで生きる菩薩んなんまっし。
まったく恐れを知らんがんなったらぁロクな事んならんけどな。
適度な恐怖やって、生きてくんに役立つもんやて。
勘違いすんなや。
非常になれっていっとんがんねぇげんぞ。
夢や空想や慈悲の心をぉ忘れんなや。
ほれが出来りゃ涅槃はどこんでもある。

生き方はなーんも変わらんわいね。
ただ受け止め方が変わるがや。
心の余裕ぅ持てばぁ誰でもブッダになれるげんぞ。
この般若覚えとけや。短い言葉やって。

意味なんか知らんでもいい。
細けぇことはいいがやって。
苦しみが小さくなるがんやったらそれで上等やがいね。
嘘もデタラメも全て認めてもぉたら苦しみはのーなる。
ほおいうモンねんて。
今までの前置きはみんな忘れてもいいわいや。
ほんでも、これだけぇ覚えとけ。

氣ぃ向いたら呟いてんまっし。
心ん中で唱えるだけでもいいげんぞ。
いいけ、耳かっぽじってよお聞くげんぞ。

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはそん時叶うやろ。全てはこの真言に成就する。』

心配すんなって。大丈夫や。









posted by ライトーダ at 10:43| 石川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神聖アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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