
メインサイトの「なぜか青い世界-Blue」に天使の絵のページを新規につくりました。よろしければご覧ください。
絵の点数からいえばブログの方が多く掲載しています。途中経過や未完成をふくめバリエーションもありますが、その全てをメインサイトには掲載していません。
このブログに日々の試行錯誤したものや制作過程も掲載することがあります。ブログの性質上、日記や記録として使えるのでそのようにしています。
天使 Angel エンジェルのページ

日記としての記録
【311後の反省】
これまで、311以降に闇の勢力や腐敗した権力構造などについて、あれこれと批判する記事を掲載したことが何度もありました。
友人にそのことを話しました。原発反対というのはわかるけど、そこに焦点を合わせるとよくないよ。争いは争いを生むので止めた方がいいんだよ。反対するという方向に走ると、自分の中の平安が崩れていくし。
それよりも自分自身が平和で愛のある気持ち、人にも自分にも優しい心をいかに保つかが大切だよ。すべての人が平和と愛の意識になったなら、いろんな問題は一瞬にして消えるんだから。
と言われました。
そうなのは分かっていて、でも忘れていました。かつて分かっていたから分かっているつもりでいました。
遠くにある手の届かないところにある問題を解決しようとしてもできない。身近にある問題も解決できない人に限って遠くにある自分とは関係ない問題を突き回すことが多いんだよ。
そうか。そうだったのだ。近くの先ず自分の平安からなのだった。闇の勢力はあるにはあっても、そのことに意識を向けることで、分離した問題の多い意識になって拡散するとその悪意を広めてしまう。
反対するよりも先ず自分の平和な心や意識だったのだ。
ちょうど「黎明」(葦原瑞穂 著)を読んでいてシンクロする部分があった。闇・影の勢力は問題を強化するためにあらゆる手段を使って高度な方法で人々の意識を平安から恐怖に持って行く。
だから敵対や争い、反対や恐怖への意識に向かって平安を忘れるということは、闇の勢力の側からすればそれこそ思う壷なのである。そんな馬鹿なということだった。
同じ戦うなら平和で戦うというのも可笑しな言い方だけど、自分がいかに平和でいられるか、どれだけ不安や恐怖を持たない時間でいられるかがミソなのだ。怒りや恐怖を感じたら負けなのだ。
ある意味試練。それができてない人間だからまったくの修行だ。
公開したほうがいい情報は公開すればいいし、コントロールが行われているということを知った上で、それを否定的に思うことで闇に貢献するのではなく、別の方法で、光に向う方法で表現すればいいのだ。
posted by ライトーダ at 15:03| 石川 ☁|
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