
シルエットで良質の素材のシルエットデザインさんから使わせていただきました。
ペガサス http://kage-design.com/wp/?p=958
ユニコーン http://kage-design.com/wp/?p=355
行動することは大切だ。行動するにも孤独な行動ではなく、人の輪の中で行動するほうがいい。そういったことを改めてかみしめている。なにを今更なのだが、長い間一人で居た方がいいと思っていたことがあり、独りで追求した方がいいのだと思っていた。特にアートの世界は一人でなければ、行けないところがあると思っていた。確かにそうなのだが、まあ、それほど孤独に徹していたわけではないし、ときどき外へでて人に会いにいくというスタイルが自分らしいと思っていた。
一人ではすぐだらけるし、人が見ていないから堕落するのが早い。人と居るから、もまれて面白い。一緒に笑える。周りに他人がいるから気持ちが引き締まる。自分を制することもでき、やる気を湧かすことができる。認められるとうれしいし、認められないと認められようとするためにエンジンがかかったりする。面白いものだ。
原発反対なんておおっぴらにいえないな〜なんていうのは核爆発する前の昔のことじゃないかな。一人じゃ、くじけてしまいがちですが、いまなら正々堂々と(当たり前なんだけど)原発はイラナイと言える時じゃないかな。大江健三郎さんも言っている。あのノーベル文学賞をもらった小説家です。全国の原発自治体の首長に、原発を再稼働させないよう要請をしたのです。
みんなの知っている有名人が声をあげている。有名じゃない普通の人でもブログやfacebookを使って発信できる。仕事仲間の中では、それほど自ら脱原発を発言する人はまだまだ少ないと実感します。といってもfacebook上だけでの反応だけですが。まだタブー視しているというか。違うだろそれ、と思っているのですが、熱くなるとドヤ顔扱いされるのもやだしね。それは多分、原発が存在するということ自体が、あらゆる仕事の発生の型と根の部分で似ている部分があるからかもしれない。
仕事の奴隷という考え方があり、身を削って仕事をしないと、おまんまが食えない、余計なことを言ってたら仕事ほされるよって。仕事に集中しなきゃ遅れちゃうよって。だけどそのツケがいまドカンと来たのではないかなあ。次の地震で日本のどこでも、もう一発核爆発したら日本はおしまいなのか!そうならないために、少しでも発言して世論をうごかすための僅かながらでもの行動をしたらいいのじゃないかな。それが「今私にできること」になるといいね。仕事を本当に続けたいと思うなら、原発止めろと言うのはあまりにも普通だろと改めて思う。
原発が無くなると電力をどうするんだ、代案を用意してから反対しろ。ということを言う人がいますが、次爆発したらそんな事もいってられない。平和依存症で寝ぼけていないか。生活自体が危うい状態になるというのに、順序がまったく逆です。先ず即刻、廃炉に向かう行動をしつつ、代案の風力、地熱、太陽光、フリーエネルギー、電力会社独占を止めるなどの策を一歩進めるのでいいのです。
100万人レベルで発言が集まり続いていけば変わるんじゃないかな。
しつこく書いていますが、福島原発の4号機の建屋はボロボロで傾いていて、その5階には使用済み核燃料棒が1535本もプールに入っています。同じ階には数100トンのクレーン機があるといいます。2月10日、始めて水の中の燃料棒の映像が公開されましたが、震度5くらいの地震で四号機の建屋が崩れると大変です。崩れて水が抜けてしまうと、冷温停止でなくなります。
つまり水蒸気爆発の危険があるのです。これが意味するのは核爆発のため首都圏も危ないということ。<参照/原発と陰謀:池田整治著:講談社> 仮に首都圏が壊滅すると日本は完全に機能できなくなり、世界経済の崩壊の加速が始まると言われています。いずれにしても廃炉・脱原発が肝なのです。
