ボケ画像のミックス
本当の大人というのは何だろう。
大人の発言、大人の行動、大人の対応。
なぜ大人の○○と、わざわざ「大人」を付けて言うのだ。
なんのために。それはもしかすると子どもの意識をもつ自分を隠すため?
大人はいちいち自分が大人だとは説明しないし、相手に大人を強要もしない。
それを言うのは精神が子どものうちに大人の仲間になりたくて言うこと。
大人じゃない、年齢的に大人だと言わざるをえない自分を取り繕うために言うセリフ。
相手に使うときに、相手を牽制し、威圧し制御しようとするとき
相手をコントロールするための常套句でもある。
相手を大人と認めないからこそ大人になれと言っているようなものだ。
自分が大人で、おまえは大人じゃないから大人になれと。
人はせいぜい100年しか生きられないのに本当の大人なんているんだろうか。
大人の社会があるなら戦争なんてやってない。
原発なんて危なくて効率の悪いものを作る発想はない。
人生はあまりにも短く、大人になるための経験値には限りがある。
200年、300年、さらに1,000年も生きたという記録のある歴史上の人のことを
ときどき目にする。真偽のほどはさておいて、もし今の平均の10倍近く
生きることができたなら、どんだだろう。
地底に住む人たちは、もっと長く生きている人もいるようだ。
地底があるかないか、地底に人がいるかどうかの真偽も別として
仮に長く生きることができたなら、社会は相当変わる。
刹那的に早く生きることはない。
死に急ぐ、生き急ぐこともない。
肉体はなくなっても魂は永遠だという。
ほんとうなのか。前世なんて覚えていない。
まれにいるらしいが自分が覚えていないしそんなことは分からない。
魂は永遠だとすると、考え方を変えた方がいいだろう。
本当に魂が永遠なんだと実感しているわけではない。
西暦2012年。もし千年生きていたとしたら。
なにを成し遂げたろう。何をつかんだ。悟ったか。千年経っても迷っているか。
違うと思う。どこかで自分の道というか進む方向が分かり、塾考し、行動しながら
経験値を上げて、100年では決して到達しない所に立っているだろう。
失敗しても失敗してもどんどん自分を理解して生きていける。
何十年という短いスパンで決着をつけなくてもいいのだ。
それはそれでその時に出来たとか勝ったとか達成したとかはあるが
あまりに短い期間での達成に過ぎない。
人類の長い年月をかけた知恵、叡智を真に使って達成したものに参加したい。
何万年もかけて一つの事を成し遂げるような何かに立ち会えたなら
どんなに面白いか。それこそ全身全霊。魂の震える経験になる。
永遠に魂が続いているというのだとしたら
限りない時を貫いて生きるだけでいい。
今を大事にするだけでいい。